【研究関心領域】
※各研究項目の詳細はNoteのマガジンにリンクしています
民の表現・発信の系譜・・・ガリ版からYouTubeまで
SNSなどの登場で「誰もが発信や表現をできるようになった」といわれます。
でも、歴史を振り返ってみると、インターネットが登場したから普通の人々が発信を始めたわけではありません。
ガリ版や同人誌、演説や街頭ビラ、海賊ラジオやコミュニティチャンネル、SNSやYouTube・・・etc.
それぞれの時代に手に入るメディアで、「伝えたい」という想いを表現、発信してきた「民」の小さな声の集まりは、歴史の伏流水のような記録でもあります。
どんな環境、どんな動機で、いかなる人々が表現・発信活動をしてきたのか・・・「民」が築いてきた「小さなメディア」の探求を通して、表現の自由やデジタル時代の発信をめぐる課題を検討しています。
旧東独の「小さな物語」から見るポスト冷戦・・・メディアと民主主義
東西ドイツ再統一から35年。
冷戦終結の象徴であったベルリンの壁の崩壊は、旧東独市民の民主化運動によって成し遂げられたものでした。しかし現在、その旧東独地域を中心に「右傾化」が加速し、懸念されているのはなぜなのでしょうか。
プロジェクト「旧東独の35年間を「小さな物語」から捉え直す」は、サントリー文化財団「学問の未来を拓く」助成をうけ、日独の異なる領域の専門家(メディア・まちづくり・学術・アート)が連携しながら取り組んでいるリサーチ活動です。
私たちは、ポスト冷戦と資本主義の勝利という「大きな物語」の裏側で見落とされてきた、体制の激変に翻弄され、取り残されてきた東独市民一人一人の「小さな物語」に光を当てながら、ポスト冷戦を捉え直すことを目指しています。
そこには、東独地域で短期間に起こったメディア環境の激変も影を落としています。この「小さな物語」を拾い集める作業は、現代社会におけるメディアと民主主義の関係を問い直すことにも繋がっていくはずです。
トランステレビジョン研究・・・デジタル時代の「テレビ的なるもの」の実像
「テレビは見てない」と言いながら、スマホでドラマやバラエティなどテレビコンテンツを楽しみ、ネットニュースでマスメディアの情報を追いかける・・・今、「テレビを見る」という行為の意味が非常に曖昧になってきています。
「テレビ vs ネット」「オールドメディアvsニューメディア」といった二項対立の図式でメディアは語られがちですが、現実はそう単純な構造ではありません。
現在のメディア環境を冷静に見直してみると、NetflixやYouTubeの人気コンテンツの多くに、テレビが長年培ってきたフォーマットや演出技法が活用・流用されていることに気づきます。インターネットの中でテレビ文化由来の、いわば「テレビ的なるもの」が浸透し、新たなメディア形態へと再編(再メディア化)されているのです。
本研究プロジェクトでは、この現象を「トランステレビジョン」と定義しています。
「テレビ的なるもの」は、先行メディアとの関係性の中でどのように形成されてきたか。
そのプロセスを明らかにするとともに、従来のテレビ放送の形式を起点としたテレビ文化の拡張と再編、メディア間の流動性に焦点を当てます。
新旧二元論から脱却し、多様なメディアが相互に影響しあいながらメディア環境が形成されている実態や、今後の課題を浮き彫りにすること、それが私たちの目指すところです。
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マージナルメディア論・・・人間・物質・空間が持つ媒体性
物質も、空間も「メディア」になり得るというと、怪訝に思う方も多いかもしれません。
しかし、メディア論の視点では、「メディア=情報や意味を媒介する媒体、その媒介の働き」と定義されています。そういう視点で見回してみると、日常のあらゆる場所に、多様な「メディア」があふれていることに気づきます。
たとえば、亭主の想いを伝える「茶室の設え」、その土地の風土を語る「一杯の酒」、あるいは個人のアイデンティティを表現する「ファッション」。私たちの身の回りには、あえて「メディア」とは名指されていない「媒体」が無数に存在しているのです。
「マージナルメディア論」は、生活や文化の中に溶け込むように潜在している「メディアと目されにくいメディア」に着目した独自の概念です。
これは、思想家・鶴見俊輔が「生活と芸術の境界にある美的な経験や表現」を「限界芸術(マージナルアート)」と定義し、芸術の概念を拡げていった考え方に触発されて生まれてきました。
日常の中で私たちの五感に働きかけてくるモノ・ヒト・コトを意識的に見直し、その存在が「媒体=メディア」としていろんなものを繋いでいる様相に目を凝らすことを通じて、本来メディア論が持っている豊でダイナミックな射程を再考していくことを目指しています。
時間・空間の編成装置としてのメディア
メディアについて語るとき、そこに流れる「情報・内容=コンテンツ」に目が行きがちではないでしょうか。しかし、メディア論の先駆者・マクルーハンは、「メディア」の本質的なインパクトは、それがもたらす「空間的スケール、時間的ペース、表現のパターン」の変化にあると主張します。
そもそも人間は、生身の身体が持つ制約を乗り越えるために、多様な「メディア」を作り出して、身体を拡張してきました。
・移動の拡張:足の代わりの車輪と道路は、飛行機や宇宙船へと進化し、人間の空間概念を塗りかえてきました。
・感覚の拡張:「今・ここ」では見えない聞こえないものを、電話やテレビなどで遠隔地と共有できるようになりました。
・知覚の拡張:脳で覚えきれない記憶や思考を、文字や写真・映像、さらにはAIなどの外部メディアに託してきました。
新しいメディアが生まれるたびに、人間社会の「時間・空間・人間関係のバランス」は根底から作り変えられてきています。
メディアとは単なる情報の伝送路ではありません。ヒト、モノ、コトの「間」の繋ぎ方を変えることで、世界そのものを編み直す「時空間の編成装置」でもあるのです。
私たちは今、20世紀から21世紀にかけての、ディア環境の大きな変容期に立ち会っています。
加速するテクノロジーと人間の思考や行為の相互関係が、「時間・空間・人間」に共通する「間」をどのように編成し、これからの社会のリアリティを織り成していくのか、これは「メディア」に関わる最大の問いだと考えています。